独女のコラム

許せるようになってきたことと、許せなくなったこと

愛犬と過ごす、7回目のGWがはじまった。
することもないし、行きたいところもない。年々さみしくなっていく。


春になると肌荒れする。
目の下~鼻の脇あたりが赤くなり、少しの刺激でピリピリする。
それまで全く何ともなかった洗顔料や化粧水が激烈しみるようになり、ファンデーションを塗るのもつらくなる。

長くは続かないのだが、3~4月に必ずこういう肌荒れ期がある。

だいたいそういうときは基礎化粧品を「ファンケル」とか「キュレル」、「カルテ」とかに変えてしのぐのだが....
今回は「IHADA」にしてみた。

ファンデ類もプチプラを買うことにためらいがなくなった。
インスタでインフルエンサーが紹介していたINTEGRATE GRACYに。

若い頃はマキアージュとかコフレドールとか使わないといけない気がしていたが、40代越えたらそういうこだわりもなくなってきた。

このINTEGRATEもそうだが、プチプラが昔みたいにちゃっちくないのだ。
ノビがいいし、隠したいところ隠してくれるのに使い心地はライトでサラッとしてて、想像以上に良い感じだ。
気付けば眉毛ペンシルもINTEGRATEで、もう5年以上リピート購入している。

鏡を見るのが嫌いになった。

それにしても...

鏡を見るたび、自分の顔が実家の父に似ていて嫌になる。

昔はどちらかというと母親似だった。
自分でもそう思っていたし、人からも言われた。
美人ではないかわりに、決定的に崩れているところもない平面的な顔。

でも40代になったあたりからだろうか、急に父親の要素が強く出てきた。
化粧をしないでふっと鏡を見ると、本当に父そっくりなのだ。
特に鼻、口元。目もとも似てるのかな(全部やないかい)。

まったくうれしくない。
どうして人生半ばから、まったく別の人間に似始めてしまうのだろう。母似のままでよかったのに。
自分の顔を見るたび、ため息が出るようになった。

20代の頃、自分のことを綺麗だとも可愛いとも思わなかったが、鏡を見るたび嫌になることもなかった。
全体で見ると「中の下」という酷いレベルだが、まつ毛が長いとか、髪の毛がストレートでつやつやサラサラだとか、ウエストがちゃんとくびれているとか、多くの女性が持っていたいと願う(であろう)「光るパーツ」みたいなのをいくつか所有しており、そのおかげでどん底まで落ち込むことも卑屈になることもなかった。

それになぜか、割とモテたのだ。
若い頃は、ただ若いというだけで需要があるから。

こんなこと言いたくないが、、、、やはりあの頃はよかった。

池袋近くの大学院に通っていて、華やかな景色のなか、そりゃもう色々なことがあった。
新しく好きな人ができたり、急に昔の彼と連絡とってみたり、年上の男性から誘いを受けたり....
同じ研究室の男を女友達と取り合っていたかと思えば、地元の同窓会で再会した同級生とすったもんだがあったり。
日常のなかに当たり前のように恋愛があり、高揚があり、焦りがあった。

紛れもない、人生におけるギフトのような時間。
4年間の大学生活では飽き足らず、さらに2年間大学院にも行ったから、6年も遊んでいられた。

子育てなんてしたくない、という本音

そんな時間をくれた親に対して本当に申し訳ないが、
今この歳になり、親のことを好きではないと正直に認めることができ、初めてラクになった。

好きでないというより、許せないといえばいいのか。
許せないということを、自分のなかでハッキリさせた。

もちろん家族としての愛情は変わらずあるが、しょっちゅう会いたいとも思わないし、「元気かな」と心のどこかで気にはしているが、電話をしてみようという気にはならない。
まったく会わずに1年経っていたなんてことも、ここ数年ではザラにある。
母という存在がなくなると、「実家」も消滅する。そういうふうにできているようだ。

母は数年前に他界し、父は群馬にある母の生家(わたしの実家でもある)で弟世帯と暮らしている。
目が届くところに3人も孫がいて、次女もそばにいる。
本人的には色々不満もあるだろうが、案外良い老後ではないか。

わたしに子どもがいないことを除けば。

離婚したせいもあるが、元来子どもが好きではないわたしは、父に孫の顔を見せることができなかったし、おそらくこの先もずっと、見せてあげることはできないだろう。何せ子育てというものに全く興味が無いのだから仕方がない。
妹も独身だから、父にとっての孫は、弟の子だけだろう。

母がどう思っていたのか、今となっては知る術がないが、父がわたしに子どもがいないことを不満に思っているのは知っている。
でもこれって、責められるようなことなのだろうか。

娘の立場から言えば、両親を間近に見て育ち、その結果、「子育てってツラそう。楽しくなさそう。制約ハンパない。自分はやりたくない」と結論づいてしまったのだから仕方がない。
両親の様子が、娘の目にあまり魅力的に映らなかったということだ。
両親にも、多少の責任があるといえなくもない(笑)。

わたしは怖いのだ。
もし自分が親になったら、自分がされてきたことを、子どもに対して繰り返してしまいそうで。

許せないと自覚して初めてラクになる。

世の中の親というのは、子どもには何を言ってもいいと思っているらしい。
考えられないくらい辛辣なことを言って傷つけてくるし、絶対に謝らない。
子どもに好き勝手に毒を浴びせるのは、親だから許される、当然の権利と思っているとしか思えない。

特に母は悲しくなるほど冗談のセンスが欠けていて、子どもに対して毒のあるからかいをよく仕掛けてきた。
本人に大して悪気はないのだが、悪意のカタマリとしか思えない毒のあるジョークに深く傷つけられることが多々あった。
毒を吐けば場が盛り上がると思い込んでいて、非常にタチが悪い。母方の人間たちには割とそういうのが多かった。
頭脳明晰な理系の家系だったが、冗談のセンスは気の毒なほど皆無だった。
まぁ、性格が悪いんだろう。

何にしたって、あの日あのとき浴びせられた質の悪いジョークとか、行き過ぎた叱責、人格否定等々。
別に親だからって無条件に許してやる必要はないと、今になって思う。
許さなくてはならない、受け入れなくてはならないと思うから、自分の中の怒りや悲しみが行き場をなくしてツラくなるのだ。

歳を取ってみて思うこと

離婚後、直接やいやい言ってくることはなくなったが、わたしは父の価値観も嫌いなのだ。
結婚してからも何度か腹の立つイヤミを言われた記憶がある。

夫の実家の法事に、ウチの父もよばれたことがあったのだが、法要後の宴席で、わたしが周囲の親戚連中に甲斐甲斐しくしなかった(酒をついでまわるとか、料理を取り分けて配るとか)ことでチクチク言われた。
「いいよなぁー、優しい家に嫁いだやつは!動かなくていいんだもんなぁ」とか何とか。
その時の父の、嫌な感じに歪んだ表情を今も忘れていない。

基本的には温厚で良い人なのだが、歳を取るにつれて、見る目が変わってきた。
見たくないところが見えてくるようになったというか。
それだけわたしも歳を取ったということなのだろう。

10代の頃は父が大好きだった。母のことはそれほどでもなかったが、両親というのは偉大だった。
両親の言うことが正しいと思っていたし、実際何か困ったことがあれば両親に相談し、言われたとおりに行動していた。
それで何か大きく間違うこともなかった。ますます両親への信頼が深まった。

10代なんて、そんなものだ。半目しか開いてないような状態で世の中を見ているのだから。
父の意見が他と比べてどうなのかとか、そういうのを検証するほど、目の前の世界は広くなかった。

両親は、絶対ではない。

さんざん嫌いだの許せないだのと言ってはみたものの、実家から遠ざかって数年、振り返ってみれば、素晴らしい両親だったと思う。
腹の立つところやおかしいだろ!と思うところも多々あるが、腐りはじめている今の日本社会において、上質な人間の部類だろうと思う。
真面目だし質素である。
人の道に外れるようなこともなく、社会と折り合い、子育てにも決して手を抜くことがなかった。
3人きょうだいそれぞれの個性を見極め、それぞれの教育に惜しみない支援をしてくれた。
躾も厳しいほうだったと思うが、だからこそ、今社会に出てそれなりにやれているのだろう。

とりわけ母は偉大だった。
彼女が亡くなったときに、それを思い知った。

葬儀の日、母に一言礼を言いたいと集まった人の多さは、尋常じゃなかった。
大きな葬儀会場の壁一面には供花が隙間なく並び、どこまで続くのか、その列は果てが見えなかった。

そして誰もが、実子であるわたし以上に悲しみに暮れ、涙を流していた。
自分が棺桶のなかに入るとき、こんな風に盛大に送ってはもらえないだろう。
慕われそして、尊敬されていたんだな...
彼女の生きざまを思い知った瞬間だった。見事だった。

口は悪いが、確かに優しい人だった。
一見、温厚な父の方が「良い人」と見られやすいが、内面を知る人は誰もが母を優しい人間と評する。
わたしもそう思う。あの人は優しかった。

父も優しいことは優しいが、どうもそうとは言い切れないものをここ数年になって感じる。

わたしももう45歳。楽しい時期はとっくに過ぎて、人生を折り返した。
健康体で、あと何年生きられるのだろう。そんなことを考えるようになった。
母が45歳のとき、わたしはもう成人していた。22歳かな。
普通に子どもを産んでいたら、自分にもそんな大きな子どもがいたのだ...
そう思うと何とも感慨深い。

今後性格面では、父と母、どちらの色が濃く出てくるだろうか。

どっちであっても、うれしくない。
自分なりの価値観で、精進していくしかない。


つづく。

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